那須野織物

那須野織物

米沢で織物業を営んでいた那須野織物さんが3月末を持って廃業する事を聞いたのが今年の初め頃だった。自分が高校2年生の時だと・・28年前にもなるが、地元高校の職業実習で那須野織物さんに3日間ほどお世話になって、確か4人ほどでお邪魔して那須野さんからデザインの事や機械の事を教えてもらったと思うのですが かれこれ28年も前なので何を教えてもらったなんて覚えていないし 高校生だったので欠伸でもしながら聞いていたんだろうなと、そこだけは想像がつくわけで そんなご縁がある機屋さん(はたや)が廃業されると聞いて最後に、ご挨拶でもしとかなきゃと思いながら、3月末の営業が終わってから伺った次第で、、反省です。

那須野織物は小物生地やネクタイ生地を得意にされている所謂  小幅物が(洋服布以外)で生計を立てられている小規模な機屋さんでした。自分が就職した機屋は米沢では大手で大量に生産するのが命題な会社なので同じ米沢織の同志ではあるけれど接点が殆どなく 数年に一度 那須野さんと展示会などでお会いして挨拶する程度の間柄でしたが、 那須野さんは事あるごとに自分の事を気に掛けてくれて 那須んさん独特の言い回しと那須野のイズムとでもいう

思想を話してくれたのが印象に残っていたけれど 当時の自分の仕事の役割としては現場を回すために、大きい仕事を取らないといけなく、その為には、世界のトレンドを取り入れ企画開発していて 若くてブイブイと仕事をしていた自分の耳には那須野さんの米沢織を大事にしていくと思想は届く話ではなかった。

工具もきれいに整備されている

実習の話に戻るけど実習の時の事で唯一覚えているのが工場にある残糸で好きな色を使ってネクタイの生地を織らせてもらった事、 ファッションに興味はあったしセンスもいいんじゃ無いかと高校生的には思っていたので、そのネクタイ生地の配色を組むのが楽しかった。同じ実習を受けていた同級生に どうだ!俺のネクタイの配色は!と得意げに見せつけるかの様に織っていたのは覚えている。その時の織り機の前に28年振りに立たせてもらい 

この28年間の間も現役で働いていた機械は本当に美しく見えて、廃業されるはずなのに部品一つ一つがまだまだ働きたいと意思を持っているかのようにスムーズに動く姿に那須野さんの機械を大事にするメンテナンスや布にかけてきた人生そのものを感じれる瞬間だった。28年間近くに住みながら同じ同業でもありながら一度も自分から那須野織物に出向かなかった自分が恥ずかしくも思えてきた瞬間でもあった。高校生で自分本位で仲間に自分のセンスを見せつけてやる!と機械の前に立った時に感じた無機質な機械と時を経てnitoritoの代表となり米沢織の今後のことや文化を残すためにはと考えている思想になると ふむふむ

那須野イズムはここにあったのかと、ここを目指してnitoritoは進むんだと思ったけど そんな風に思う時には廃業されて大きな米沢織の財産が失われていくのが本当に残念な事 と 気が付く。

文化や技術は 継続してこそ後世に残せる物だけど、後継者不足や、そもそもその技術を使った商品の需要が無くなれば廃れて行く運命だと確かに思う。ここに若い発想や切り口を変えていけばまだまだ活躍する場面が沢山あるはず!

nitoritoはまだ実力がなく自分たちの工場を持つなんてまだまだ難しいけれど いつか自分達の工房工場が持てたなら那須野織物みたいに優しさを感じれる工場にしていきたいと思う。

那須野織物さんを後にして

そういえば工場実習でネクタイ生地をを織って那須野さんの好意で本物のネクタイにして実習生全員にプレゼントとしてもらった事を思い出して 28年越しに那須野さんにお礼を兼ねて見てもらおうと家の箪笥を探しに探し 当時のネクタイが見つかれば この話しも綺麗な美談で終わるかなと思ったけれど そんな都合よく見つかるわけないんです。それでもまた那須野さんの那須野イズムを ゆっくり聞きに行こうと思う。

nitorito スズキ

28年前にネクタイを織った織り機の前で ありがとうございます。