ハンカチ作りの現場

2022.4

nitoritoとして初めて、手捺染(シルクスクリーンプリント)でテキスタイルを製作することに挑戦しました!

お世話になった工場は神奈川県。

こんな実家の近くに捺染工場がある驚きと同時に、横浜はシルクスカーフの一大生産地だったことを思い出しました。その名残もあり、紗張りや製版などは横浜のそれぞれの工場にて行う”分業制”。一つの地域の中で、それぞれの工程を専門的に各工場で行う生産体型は、米沢産地と重なって見えました。

その中で私が見学させていただいたのは、製版工場と捺染工場。見学のお話をしながら、ハンカチが出来上がるまでの工程をお伝えしたいと思います。

約25mの捺染台!迫力があります

まずは製版工場。製版はその名の通り、版を作る事を指し、描いた柄をイメージ通りにテキスタイルにする大切な工程です。

mountain&moonの柄では「色鉛筆のタッチを残している」と紹介をしている通り、実際に色鉛筆でハンカチサイズの柄を描き、データ化し、版を起こしています。データ化までは私の作業でしたが、シルクスクリーンの版にする際は職人さんへお願いをします。どこまで色鉛筆のタッチを再現するのか、その表現が自然に見えるよう製版していただきました。細かい表現は難しく、とても時間がかかります。

そして、今回の柄では、色鉛筆の掠れが多くなってしまうと白っぽい印象になることを避けたかったので、さりげなく鉛筆タッチを感じる仕上がりへと修正していただきました!

そして、完成した版と共に、捺染工場へ。

ピシッと広げられた白い生地に、柄を刷っていきます!

2色というシンプルな構成で簡単に思えますが、素材が”サテン組織”のためプリントの難しさが一段階上がるといいます。まず、生地に1色めをプリントし、染料が乾き始めると組織の都合ですぐにシワが寄ってきてしまうのです。シワができてしまうと、2色めがガタガタの柄になってしまいます。

そのため、1色刷ったら続けて2色めも。追いかけっこをしているかのように、可憐なコンビネーションで着実に柄を作っていきます。無駄のない素早い動きに見とれていると、あっという間にテキスタイルが完成していました。

職人さんが1リピートずつ丁寧に刷っています。

すごいー!すごすぎるー!

何メートルにも及ぶ作業の中で、柄のズレや色飛び、掠れなども無い綺麗な生地に仕上げるなんて、とんでもない技を目の当たりにしました。スキージーという、版に染料乗せ柄を刷る道具を使いこなすのも難しい事はよく知っているので、よりその技術の高さを感じました。染料を上から下に、同じ力加減で、同じ角度で刷る。少しでもそのバランスが乱れてしまうと、色ムラや掠れなどが起きてしまいます。

とても緊張感のある、かっこいい背中です。

2色目を刷る瞬間です!

全ての柄を刷り終わると、蒸しの工程に入ります。蒸す事で染料を定着させます。その後、別の工場にて洗い・裁断・縫製が行われ、私たちの元へ届きます。

このように、たくさんの人の手を伝って出来上がったと思うと、思わず感動してしまいます。みなさんのご協力の元、オリジナルの柄でハンカチを製作できたことが本当に幸せです!

ぜひたくさんの方の手に取っていただきたいなと思っています。

nitoirto 斎藤

左:みつばちマーチ 右:白鳥のワルツ

Home 眞島秀和とnitorito

nitoritoも参加させて頂きました!

昨年、雪が降る前に それでも もう少しで雪を感じる時期に撮影に来てくれました。 眞島さんとは1976年生まれて実は同学年。中学も高校も違う校舎に通ったけど 共通の知人がいたりと初めて会ったのに、初めてじゃない感じがした。同じ昭和時代全盛の空気を吸って米沢で過ごしたからなのかな。

眞島さんの撮影が終わり ロケバスに戻る前に2人でツーショットの写真を撮ってもらう機会をもらい 少し2人で歩きながらすごい活躍ですね、と会話をしたら

『いゃ 何とかここまで来れました』と 眞島さんが話してくれました。第一線の芸能の世界で生きるのは本当に大変ですご事だと思う、同じ歳で重ねた思いも 何となくわかる。同じ仕事を20数年続けてる 鈴木さん(僕の事も)すごいと言ってくれたけど

眞島さんも同じじゃないですかと 言うと『何とかここまで来れました』と さっきのセリフ

すごく大変な世界で生き残る人は こんなにも謙虚である。そう一瞬で感じツーショットの写真はお互い満面の笑みはさすが。

写真集の”Home”はオール米沢でのロケ 眞島さんが40歳を過ぎて故郷の事を思ってそして自分のルーツだと理解して写真集を作ってくれるのは本当に嬉しくありがたい事だと思っています。彼は芸能の世界から米沢を思い 自身を被写体にして故郷を大切にしているのだと

僕はnitoritoと言うブランドを通して 米沢の風景をモチーフにした製品で米沢を表現して 同じく故郷の米沢を大切にして行きたいと 思っています。同じ表現者として 交れた事 感謝しながら 進んでいきたいと思い Homeを何度も何度も眺めます。

眞島さん ありがとうございます。

nitorito スズキケンタロウ

nitorito 2年目

nitoritoは9月で2年目になりました。

若い頃 いつだろう23歳とか24歳の頃だと思うけど

高校時代の親友と米沢織でアパレルブランドを作りたいなと酒を飲みながら語っていたのを思い出した。

彼は、自分が勤めていた機屋とは違うライバル機屋に勤めていて、本来ならば親友といえどお互い酒を飲んで仕事の話をするのは如何なものか?思いながらいたけれど それでも彼と飲む酒は楽しくて、心地よくて よく飲んでいた。

酔いが回り始めると、どちらかが切り出す訳でもなく、自分が作った生地で洋服つくりたいよな!なんて語り サマーウルーのセーターを作りたいとかメンズブランドにしようかとか、ブランド名をどうするかなどを熱く語った。

自分のイニシャルがKで親友のイニシャルがDだから ブランド名は『D&K』かとドルチェ&ガッパーナを意識して名前だけは決めて でも、そこから具体的に話が進むわけではなく あくまでも酒を飲むときだけの限定の夢を語っていたんだろうな。

当時は機屋が自分達でアパレルみたいな事をするなんて、誰も出来るはずないと思っていたし、もしかするとそんな事を考える事自体、同業の誰もしなかったと思う。お互いサラリーマンだからと ←出来ない理由を無理やり自分で生み出したり

だから僕たちがそんな事を考えていても 自分自身そんな事ができる訳ないと100%わかった上で話していたんだと思う。

あれから20年が過ぎ 自分は米沢織を使ったブランドを立ち上げて社長になっている。20年前に夢を語った事が現実に自分の仕事となり、なんとか成り立たせようと頑張っている。残念だけど当時 夢を語った親友と一緒には実現できなかったけど、もしかするとこの先、一緒に仕事が出来るかもしれない その可能性は今はある。

だからそれも自分を突き動かす原動力になっているかもしれない。

nitoritoは2年目を迎えました。地元の人に愛されるブランドになり、米沢から世界に通用するブランドになりたいと思っています。無理だろう そんな簡単な事ではない わかっています。それでもなんとか地元の人が誇れるブランドにどうしても成りたいんです。それが僕がお世話になり社会人として時間を捧げた米沢織への恩返しとなり、伝統と文化を残す事なので 

【nitorito】3年目を目指して2021年のシーズンが始まります。

スズキケンタロウ

 工房マートルへ

2020.4.20

飯館村の地域おこし協力隊の活動をしながら、ボタニカルキャンドルアーティストとして福島の草花を使い、沢山の人たちの心に希望の明かりを灯している”工房マートル”の大槻美友さんの元へ行きました。

大槻さんとの出会いは2020年11月。
飯館村を舞台としたイベント”山の向こうから”に出店した際に、そのキャンドルの美しさやものづくりに対する想いに感動して、イベントが終わった後もご連絡をさせていただきました。
ぜひ一緒にテキスタイルを使ったあたたかなキャンドルを作りたい!という想いを受け取って頂き、このような機会が実現することができました。

お花がたくさん!

飯館村の古民家を自らリノベーションしたアトリエは、沢山の種類の美しいドライフラワーに囲まれた、あたたかな空間でした。
ただアトリエに着くまでは、本当にあるのかな?と思わず考えてしまうような山の中、田んぼの中にあります。一見、長閑な風景ではありますが、よく見ると何年も使われていない田んぼや汚染物質を詰め込んだ黒い物体が並び、飯館村の現状や大槻さんの活動に対する覚悟や苦労を感じます。

福島県相馬郡飯館村は、震災による福島原子力発電所の事故から強い放射線濃度のため全民が避難をした村です。現在では、少しずつ避難解除となり村人が戻ってきていますが、10年も経ち新しい場所で暮らしている人、高齢となり帰ってくるのが難しい人も多くいるため、当時のような活気は無くなってしまいました。

試作のキャンドルを灯してみました〜

わざわざ何でこんな所に?と言われながらも、強い思いを持って活動をする大槻さんのキャンドルは力強く、草花の生命力を感じます。
火を灯していない状態では、花びらが立体的に浮き出ており、草花の細かな葉脈までもを感じるとても繊細な美しさを。火を灯すと、オレンジ色の光がふわっと広がり、草花の輪郭が見え幻想的な美しさを。
どちらの表情も、花の生産者の方の気持ちや大槻さんの想いも重なって、特別に美しく感じます。

この度は、ご紹介した工房マートルとnitoritoのコラボキャンドルを制作する事となりました!
ボタニカルキャンドルではなく、テキスタイルキャンドルと言ったところでしょうか。
nitoritoのストールに使用しているウールや綿の糸を入れたり、余った生地をいろいろな形に切ってみたりと試行錯誤しながら制作しています。
“残糸”や”ハギレ”も私にとってはnitoritoの大切なテキスタイルです。新たな形でみなさんの暮らし中にあたたかな光を灯すことができると思うと、とても幸せです。

nitoritoのネームタグを織り上げた時の”耳”を集めてみたり…!

発売のご報告まで、今しばらくお待ちください〜! 
nitorito斎藤

工房マートル
ボタニカルキャンドルアーティスト
大槻美友
instagram / @atelier.myrtlee

 那須野織物

那須野織物

米沢で織物業を営んでいた那須野織物さんが3月末を持って廃業する事を聞いたのが今年の初め頃だった。自分が高校2年生の時だと・・28年前にもなるが、地元高校の職業実習で那須野織物さんに3日間ほどお世話になって、確か4人ほどでお邪魔して那須野さんからデザインの事や機械の事を教えてもらったと思うのですが かれこれ28年も前なので何を教えてもらったなんて覚えていないし 高校生だったので欠伸でもしながら聞いていたんだろうなと、そこだけは想像がつくわけで そんなご縁がある機屋さん(はたや)が廃業されると聞いて最後に、ご挨拶でもしとかなきゃと思いながら、3月末の営業が終わってから伺った次第で、、反省です。

那須野織物は小物生地やネクタイ生地を得意にされている所謂  小幅物が(洋服布以外)で生計を立てられている小規模な機屋さんでした。自分が就職した機屋は米沢では大手で大量に生産するのが命題な会社なので同じ米沢織の同志ではあるけれど接点が殆どなく 数年に一度 那須野さんと展示会などでお会いして挨拶する程度の間柄でしたが、 那須野さんは事あるごとに自分の事を気に掛けてくれて 那須んさん独特の言い回しと那須野のイズムとでもいう

思想を話してくれたのが印象に残っていたけれど 当時の自分の仕事の役割としては現場を回すために、大きい仕事を取らないといけなく、その為には、世界のトレンドを取り入れ企画開発していて 若くてブイブイと仕事をしていた自分の耳には那須野さんの米沢織を大事にしていくと思想は届く話ではなかった。

工具もきれいに整備されている

実習の話に戻るけど実習の時の事で唯一覚えているのが工場にある残糸で好きな色を使ってネクタイの生地を織らせてもらった事、 ファッションに興味はあったしセンスもいいんじゃ無いかと高校生的には思っていたので、そのネクタイ生地の配色を組むのが楽しかった。同じ実習を受けていた同級生に どうだ!俺のネクタイの配色は!と得意げに見せつけるかの様に織っていたのは覚えている。その時の織り機の前に28年振りに立たせてもらい 

この28年間の間も現役で働いていた機械は本当に美しく見えて、廃業されるはずなのに部品一つ一つがまだまだ働きたいと意思を持っているかのようにスムーズに動く姿に那須野さんの機械を大事にするメンテナンスや布にかけてきた人生そのものを感じれる瞬間だった。28年間近くに住みながら同じ同業でもありながら一度も自分から那須野織物に出向かなかった自分が恥ずかしくも思えてきた瞬間でもあった。高校生で自分本位で仲間に自分のセンスを見せつけてやる!と機械の前に立った時に感じた無機質な機械と時を経てnitoritoの代表となり米沢織の今後のことや文化を残すためにはと考えている思想になると ふむふむ

那須野イズムはここにあったのかと、ここを目指してnitoritoは進むんだと思ったけど そんな風に思う時には廃業されて大きな米沢織の財産が失われていくのが本当に残念な事 と 気が付く。

文化や技術は 継続してこそ後世に残せる物だけど、後継者不足や、そもそもその技術を使った商品の需要が無くなれば廃れて行く運命だと確かに思う。ここに若い発想や切り口を変えていけばまだまだ活躍する場面が沢山あるはず!

nitoritoはまだ実力がなく自分たちの工場を持つなんてまだまだ難しいけれど いつか自分達の工房工場が持てたなら那須野織物みたいに優しさを感じれる工場にしていきたいと思う。

那須野織物さんを後にして

そういえば工場実習でネクタイ生地をを織って那須野さんの好意で本物のネクタイにして実習生全員にプレゼントとしてもらった事を思い出して 28年越しに那須野さんにお礼を兼ねて見てもらおうと家の箪笥を探しに探し 当時のネクタイが見つかれば この話しも綺麗な美談で終わるかなと思ったけれど そんな都合よく見つかるわけないんです。それでもまた那須野さんの那須野イズムを ゆっくり聞きに行こうと思う。

nitorito スズキ

28年前にネクタイを織った織り機の前で ありがとうございます。